一足早いお盆
夏休みですね〜
今日は、こちらのお題に乗って、日記を書いてみようと思います。
先月末、ひとりで故郷に行ってきました。
東京駅から故郷の仙台市までは、新幹線で1時間40分くらいで着きます。
まぁいつでも行ける距離なのですが、コロナ禍でバタバタして、気付けば4年ぶり。
仙台は七夕まつりのシーズンで、そこかしこに七夕かざりがお目見えしてました。
今回の仙台旅行の目的のひとつが、両親のお墓参りをすること。
5年前に母親が他界してから、数回しかお墓参りをしてませんでした。
コロナだったというのもありますが、何となく行きたくない気持ちがありました。
億劫だったのか、母親がいないことをまだ正面から受け止めきれていないのか、理由はよくわかりません。
正直、行きの新幹線の中でも「行くのやめようかな」と思っていたくらいです。
ただ、このままじゃいけないなというのも感じていて。
両親が眠る菩提寺へ。
墓を目の前にして、自分でも驚いたのですが、手を合わせる気持ちになれませんでした。
神社とか好きで、そこでは簡単に手を合わせてお参りするのに、なぜか祈ることができませんでした。
ただ、お墓と対峙してきた、という感じです。
手を合わせて祈る対象は畏れ敬う相手、というイメージがあります。
神様とか遠い祖先とか。
その点、まだ私の中では両親は身近な感覚なのかもしれません。
最近気付いたのですが、私は子育てで何かトラブルがあった時、心の中で両親だったらどうしていたかと彼らをトレースしていることがあります。
両親の対応が正解でもないのですが、自分が親として何かに対応する時、やはり身近な例は両親なんですよね。
お墓参りに対して抵抗感があったのは、墓を目の前にすることで改めて両親がこの世にいないことを確認するのが嫌だったのかなと思います。
こればかりは、気持ちを切り替えていくのは簡単ではないですよね。
今回は、そんな自分を少し分析できたのが、一番の気づきでした。
ここまでご覧くださってありがとうございます。
久しぶりの投稿でちょっとしんみりした話をしてしまいました。
夏になると、ふと亡くなった人のことを思い出しませんか?